2011年3月15日火曜日

カルメン

阪神淡路大震災がおこったとき、そしてのそ後、おこった地下鉄サリン事件の報道をパリで見ていました。日本は大丈夫だろうかと思ったのが16年前。その年にマリア・カラスの映像を見ました。リハーサルの時にバックコーラスの音のずれを彼女がうたいなが調整していく映像に感動しました。その後マリアカラスのCDを買いマリアカラスの声に鳥肌がたちました。

没後30年以上たった今もディーバと定義される彼女の人生とは:
1923年にニューヨークで生まれました。父親は芸術にまるで興味が無い人でしたが母親は芸術に対してどん欲だったそうです。
3歳頃に音楽の才能が現れるようになった彼女。母親は娘の歌の才能を見いだすや、歌うことを強制しました。美しい姿しか知らない私にとっては意外ですが、若いときは太って眼鏡をかけていたようです。母親からも容姿のことでさんんざん言われた彼女。ギリシャナショナルコンセルバトワールのマリア・リヴエラにレッスンを受け、アテネのコンセルバトワールに入学。ギリシャで音楽の教育を受け、イタリアでそのキャリアが芽生えた彼女。
カラスの最初の夫は30歳年上のイタリアの実業家ジョバンニ・バティスタ・メネギーニでしたが、後にカラスがギリシャの大富豪で海運王と呼ばれたオナシスのもとに出奔し離婚。オナシスとの愛人関係はケネディ大統領未亡人ジャッキーとオナシスの結婚後も続きました。
1977年9月16日、ひっそりと暮らしていたパリの自宅にて53歳の若さで短い生涯を閉じました。


ジョバンニ・バティスタ・メネギーニと

オナシスと
先日届いた本。あこがれのCarmenのHabaneraが入っています。
歌詞


数年後に東北大震災を思い出し、これほどはやく被災地が復興できるとは思っていなかったと話すことができればと思います。原子炉の爆発など心配がたえない日本。みなさんのご家族、ご友人そして被災地に生きる人が早く安心して生活できまることを心から願っています。

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